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神戸地方裁判所 平成元年(ワ)33号 判決

第一事件原告、第二事件被告 堅持院

右代表者代表役員 富田慈龍

右訴訟代理人弁護士 宮川種一郎

同右 松本保三

同右 猪熊重二

同右 桐ケ谷章

同右 八尋頼雄

同右 福島啓充

同右 若旅一夫

同右 松村光晃

同右 漆原良夫

同右 小林芳夫

同右 今井浩三

同右 稲毛一郎

同右 大西佑二

同右 堀正視

同右 春木實

同右 川田政美

同右 吉田孝夫

第一事件被告、第二事件原告 渡辺広済

右訴訟代理人弁護士 小宮山繁

同右 河合怜

同右 小坂嘉幸

同右 川村幸信

同右 山野一郎

同右 弥吉弥

同右 江藤鉄兵

同右 富田政義

同右 片井輝夫

同右 伊達健太郎

同右 竹之内明

同右 華学昭博

同右 仲田哲

主文

一  第一事件原告及び第二事件原告の請求をいずれも却下する。

二  訴訟費用はこれを二分し、その一を第一事件原告の、その余を第二事件原告の各負担とする。

事実

(略称)以下、第一事件原告、第二事件被告を「原告」と第一事件被告、第二事件原告を「被告」という。

第一当事者の求めた裁判

(第一事件)

一  請求の趣旨

1 被告は原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明渡せ。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(第二事件)

一  請求の趣旨

1 被告と原告との間において、被告が原告の代表役員及び責任役員の地位に在ることを確認する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

(第一事件)

一  請求原因

1 原告は、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有している。

2 被告は本件建物を占有している。

よって、原告は被告に対し、所有権に基づいて本件建物の明渡を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実はすべて認める。

三  抗弁(占有正権限)

1 訴外宗教法人日蓮正宗(以下「日蓮正宗」という。)は、昭和二七年一二月宗教法人法に基づき設立され、宗祖日蓮立教開宗の本義たる弘安二年の戒壇の本尊を信仰の主体とし、法華経及び宗祖遺文を所依の教典として、宗祖より付法所伝の教義を広め、儀式行事を行い、広宣流布のため信者を教化育成し、寺院及び教会を包括し、この宗派の目的を達成するための業務及び事務を行うことを目的とする包括宗教法人であり、宗教法人法一二条に基づく法人規則である日蓮正宗宗制(以下「宗制」という。)、教団規則である日蓮正宗宗規(以下「宗規」という。)及び施行細則を有している。

2 原告は、昭和二七年一二月八日、宗教法人法により設立された日蓮正宗宗制に定める宗祖日蓮所顕十界互具の大曼茶羅を本尊として、日蓮正宗の教義を広め、儀式行事を行い広宣流布の為め信者を教化育成し、その他正法興隆・衆生済度の浄業に精進するための業務及び事務を行うことを目的とする日蓮正宗の被包括宗教法人である。

3(一) 原告の規則によれば、原告の代表役員は原告寺院の主管にある者をもって充てられることになっており、代表役員の任期は主管の在職中とされ、主管は宗制により、原告寺院の住職または教会の主管及びそれらの代務者の職に在るものが就任するものとされている。

(二) 被告は昭和三九年四月五日、原告寺院の主管、代表役員に就任し、右就任と同時に本件建物の占有を開始した。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実はすべて認める。

五  再抗弁(懲戒処分)

1 処分規定

宗規二四八条二号は、「正当の理由なくして宗務院の命令に従わない者」は住職または主管を罷免すると規定する。

2 懲戒処分権者としての管長

(一) 宗規一三条、一五条により、管長は一人おかれ、一宗を総理し、宗制の制定、改廃及び公布、住職、主管の任免及び僧階の昇級、僧侶等に対する褒賞及び懲戒等その他の宗務を執行する。

(二) 管長は法主の職にある者を以て充てられる(宗規一三条二項)。日蓮正宗においては伝統的に管長に充てられる法主の地位は血脈相承によってのみ行われている。

(1) 血脈相承の意義

血脈相承とは、日蓮正宗においては、第二祖日興上人は第三祖日目上人へ、日目上人は第四世日道上人へと、代々の法主から次の法主たるべき者へ順次にあたかも一器の水を一器に移す如く宗祖の血脈が連綿と承継されることをいう。

(2) 血脈相承の方法

血脈相承は、同宗の最高の宗教行為であり、これを授ける者と受ける者のみが知りうる秘伝・秘儀であり、代々の法主が次の法主となるべき者に対して、余人を交えることなく口述で順次伝えることによって行われる。

(三) 日蓮正宗における法主の地位の承継に関する準則

(1) 不文の準則の存在

日蓮正宗においては、血脈相承は次の法主たるべき資格・権能を付与する最高の宗教行為であり、その教義・信仰上、原法主もしくは前法主から血脈相承を授けられた者は、現法主の退位もしくは遷化(死亡)により他に何らの行為を要せず当然に新法主の地位に就くものとされている。

(2) 現行の成文の準則

宗規一四条二項

法主は必要と認めた時は、能化のうちから次期の法主を選定することができる。但し、緊急止むを得ない場合は、被選定資格は下がり、大僧都のうちから選定することができる。

同条三項

法主が止むを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役及び能化が協議して能化もしくは大僧都のうちから次期法主を選定する。

〔能化とは、僧階が権僧正以上のものをいい(宗規一九一条二号)、日号を称する(同二一二条)。〕

(3) 現行の成文の解釈

日蓮正宗には、前述のとおり教義・信仰上、血脈相承による法主の地位の承継は血脈相承によってなされるものであり、成文の解釈としても右血脈相承に反する解釈をすべきでない。そこで宗規一四条二項にいう「選定」とは「血脈相承」のことであり、「次期法主」とは「血脈承継」を授けられて次の法主になることが確定している者をいい、同項は次期法主の被選任資格を一定の僧階にある者に限定しているように読めるが、これは一応の目安を掲げたものにすぎず、また同条三項にいう「選定」も二項と同様「血脈相承」のことであり、三項は遷化その他の事由により当代法主が「血脈相承」を授けることが出来ない場合に、血脈の不断に備えて前法主が当代法主に代わって血脈相承を授けて次期法主を選定し、その際には予め総監・重役・能化から意見を聞くことを定めた規定である。

(四) 日蓮正宗の第六六世日達上人(以下「日達」という。)は、昭和五三年四月一五日総本山において阿部日顕(以下「日顕」という。)に血脈相承を授け、日顕を次期法主に選定し、日達は昭和五四年七月二二日遷化したもので、これに伴い日顕は第六七世法主に就任し同時に管長に就任した。

3 被告の懲戒処分事由

(一) 宗務院の命令

(1) 「第五回日蓮正宗全国壇徒大会」(以下「大会」という。)の開催決定

被告を含む日蓮正宗僧侶一八名(以下「被告ら」ともいう。)は、大会を昭和五五年八月二四日、日本武道館で開催することを決定した。

(2) 宗務院の事情聴取及び大会中止の説得

① 宗務院は、被告を含む大会主催者に対して、大会の意義、内容につき昭和五五年七月三〇日に事情聴取し、同月四日の全国教師指導会の日顕の指南〔日蓮正宗と宗教法人創価学会(以下「創価学会」という。)の僧俗和合強調路線に従わない者は日蓮正宗の信心のあり方から完全に逸脱する。―以下「七・四指南」という。〕に反する内容であった場合には、大会を中止する旨説得した。

② 宗務院は同年八月九日、七・四指南に反する内容であることを確認したので、被告らに対し大会の中止を説得した。

(3) 中止命令

宗務院は、右聴取の結果、大会が七・四指南に反する内容であることを確認した上で、大会が日蓮正宗の教義に違背し、信仰上の方針に反するものであることを理由に、左記のとおり院達をもって大会の中止を命令した(以下「本件中止命令」という。)。

① 昭和五五年七月三一日付院第一四五号

② 同年八月一一日付院第一四九号

③ 同年八月一九日付院第一五八号

(二) 命令違反行為

(1) 大会の開催

大会は被告外一七名が主催、運営をして、昭和五五年八月二四日、僧侶一八七名、壇徒一万三〇〇〇名参加のもと、日本武道館において午後一時から約三時間開催された。

(2) 大会の内容

右大会は、七・四指南及びそれに基づく本件中止命令に違背し、創価学会を誹謗、中傷する内容であった。

4 処分手続

宗務院は、総監において事実の審査を遂げたうえで(宗規二五一条)、昭和五五年九月二四日参議会の諮問を経て(宗制三〇条二号)、責任役員会の議決により(宗規一五条七号)、被告を主管罷免の処分に付し、管長の裁可を得(同二五一条)、管長の名をもって宣告書を作成したうえで(宗規二五三条)、翌二五日堅持院において被告に対し、右宣告書を交付した(以下「本件懲戒処分」という。)。

5 占有権限の喪失

被告は、本件懲戒処分により、原告の住職たる地位を喪失するとともに、代表役員たる地位も喪失し、これにより本件建物を占有する権限を喪失した。

6 裁判所の審判権

(一) 裁判所が、宗教団体のなした懲戒処分について判断する場合には、団体自律権の尊重及び信仰の自由の尊重を検討しなければならない。

(二) 団体自律権

憲法二一条は結社の自由を保障しているところ、結社の自由により成立した団体はその存立維持のために団体内部で法規範を具備するものであるから、結社の自由は団体自律権の保障を内包しているものである。右団体自律権の発動の中心的場面は団体規範に違反した者に対する制裁処分の場面であることから、私的団体の懲戒処分の効力は充分に尊重されなければならず、それが国法秩序に違反しないかぎり有効なものとして認めなければならない。

(三) 信仰の自由

憲法二〇条は、個人の信仰活動の自由のみならず、宗教団体の結社及び活動の自由をも保障するものであるが、その最大の眼目は、宗教団体が国家から干渉を受けずに当該団体内部の事項(特に、教義・信仰に関わる事項)を自治的に決定しうる権利を保障すること、すなわち、宗教団体に宗教的自律を保障するところに存するといわなければならない。したがって、宗教の教義及び信仰の内容に関する事項が請求の当否を決するについての前提問題である場合、裁判所は教義・信仰の内容に立ち入って審判することは許されず、当該宗教団体が自治的に決定した内容を基礎として判断すべきである。

(四) 以上のことから、宗教団体においてその内部事項について自治的に決定・確定された結果に対しては裁判所を含めた国家権力が不当に介入・干渉することはできず、国家権力は宗教団体の自律結果を尊重しなければならないといえるから、訴訟の場で宗教団体内部の懲戒処分の効力が争われた場合には、右懲戒処分の効力は一応有効と認められるので、これを争う被処分者の側で懲戒処分の無効事由の主張立証責任を負うことになり、また無効事由として主張しうる事実も団体の自律権を侵害しない事由に限定されることになる。

(五) ところで、本件訴訟で日顕が管長の地位にないこと及び被告に処分事由が存在しないことは本件懲戒処分の無効事由であるから、被処分者である被告の側で主張立証しなければならない事項である。

(六) そこで、本件訴訟の無効事由となる日蓮正宗の法主の地位について考えてみるに、右地位は、宗祖日蓮の血脈を承継した存在として同宗の全僧俗から高い尊崇を受ける立場にあり、また本尊書写を初めとする特別の宗教上の権能ないし権限を有する。そして、その書写した本尊は寺院あるいは信徒の家庭に安置され日常礼拝の対象となっている。右地位の承継は、血脈相承という宗祖の血脈(宗祖日蓮大聖人が悟った仏法の一切。)を承継させることを目的とする特殊な宗教的秘儀によって行われ、宗祖の血脈は、血脈相承によってのみ承継されること及び宗祖の血脈の断絶はありえないというのが日蓮正宗の教義・信仰であるから、血脈相承の断絶もありえないことは、日蓮正宗の教義・信仰上の絶対的要請である。

このようなカリスマ的最高権威者の地位の存否については、その地位の特性に鑑み、裁判所は就任の適法性を準則適合性の問題にまで遡って判断することは差し控えるべきものであり、当該団体の自治に委ねるべきである。

よって、被告が日顕が法主ではなく、したがって管長に就任していない旨主張しても、それは裁判所に教義・信仰の内容に立ち入って判断を求めるものであるから法的に意味のない主張であり、主張自体失当として排斥されるべきものである。

(七) 仮に、日顕が懲戒処分権者であることについて原告に主張責任があるとしても、日蓮正宗において日顕が血脈相承を受けて法主に就任したことは、宗内で確定されている。

(1) 日達が遷化した昭和五四年七月二二日に開催された重役会議において、日顕は血脈相承を受けていた旨発表し、同日、宗内において日顕の法主就任が発表され、同年八月六日総本山における法主就任の儀式である「御座替式」(おざがわりしき)が行われ、同月二一日、日顕は法主、管長の就任にあたり訓諭を述べ、昭和五五年四月六日及び七日総本山において全僧侶及び多数の信者参加のもと「御代替奉告法要」が行われ、日顕の法主就任が宗祖日連大聖人に奉告されるなど、日顕は法主として行動し、これに対しては家内の誰からも異議が唱えられなかった。

(2) 被告も右各種法要に出席し、日顕を法主として信伏随従していた。

六  再抗弁に対する認否

1 再抗弁1の事実(処分規定)は認める。

2 同2の事実(処分権者としての管長)のうち(一)の事実は認める。同(二)の事実は否認する。同(三)の事実のうち(2)の宗規一四条の規定が存することは認め、その余は否認する。同(四)の事実のうち、日達が昭和五四年七月二二日遷化したことは認め、その余は否認する。

(被告の主張)

(1)  日顕は、次のとおり日蓮正宗の法主たる地位に就任したことはなく、したがって、管長の地位に就くことはありえず、それを僣称しているにすぎない。

(2)  宗規一四条の解釈

宗規一四条一項は、「法主は宗祖以来の唯授一人の血脈を相承し、本尊を書写し、日号、上人号、阿闇梨号を授与する。」と規定しているが、同項は本尊の書写、日号の授与というような法主の宗教上の権限を定めるにつき、法主は宗祖以来の唯授一人の血脈を相承した権威あるものであると宣言したものにすぎず、血脈相承した者は法主になる旨を規定したものではない。同項の「法主」とは同条二項以下の法主選任準則に基づいて適法に選任された法主の存在を前提としている規定である。そして、同条二項は、法主に後任法主の選定権を付与した規定であり、右選定とは、後任者を選任する旨の前法主による意思表示を中核とする選任行為であると規定している。同三項の選定も二項と同様に解釈すべきものである。

原告は、不文の準則を根拠に同条二項、三項の選定の意味を血脈相承であると主張しているが、不文の準則というものは存在せず、右解釈は、宗規一四条全体の明文の規定を明らかに無視したものである。

(3)  日顕の法主就任の経緯

日達は、昭和五四年七月二二日に遷化した。当時日顕は大僧都で総監の地位にあったが、日達の通夜の際に、早瀬日慈(能化)及び椎名法英(重役)に対し、昭和五三年四月一五日に日達から内密に次期法主の相承の儀について話があった旨述べ、早瀬らは、日顕の一言だけで同人のいう事実があったこと及び右事実は宗規一四条二項による次期法主の選定に該当するものであるとして日顕の法主就任を了承した。

(4)  日顕の法主の地位の不存在

日顕が昭和五三年四月一五日に日達から宗規一四条二項の「次期法主の候補者たる学頭」に選任されているならば、当然に学頭と称され宗内に公表されていたはずであるし、同日次期法主に選定されたのであれば、直ちに法主に就任したはずであるがそのような事実はない。

仮に、宗規一四条二項による選定の時期と就任の時期が一致しないことがあるとしても、日顕が昭和五三年四月一五日に日達から次期法主に選定された事実そのものがない。この場合、次期法主は、宗規一四条三項に基づき、総監、重役及び能化の協議に基づいて選定されなければならないが、この場合当然には緊急やむを得ない場合に該当しないので、能化の中から次期法主を選定しなければならないが、日顕は当時大僧都にすぎず法主選定資格を有していなかった。

よって、日顕は宗規に基づかずに法主に就任しているのであり、法主に選定されたことを前提として就任した管長及び代表役員の地位は、いずれも正当な根拠にもとづかないものであり、それらの地位はいずれも存在しないといわざるを得ない。

3 同3(一)の事実(宗務院の命令)のうち(1)の事実は認める。(2)の事実のうち大会中止についての説得があったことは認め、その余は否認する。(3)の事実のうち、宗務院が本件中止命令を発したことは認め、その余は否認する。

4 同3(二)(命令違反行為)のうち、(1)の事実は認める。(2)の事実は否認する。

5 同4の事実(処分手続)のうち、総監において事実の審査を遂げたことは否認し、その余は認める。

6 同5の事実(建物占有権限の喪失)は否認する。

7 同6(裁判所の審判権)については争う。

(被告の主張)

1  団体自律権について

団体の自治とは、団体が自律的にその内部規範を定立し、一定の内部機関あるいはその団体の意思決定機関として、立法機関、司法機関または行政機関を設け、その権限を決めることも原則として団体の自律的意思に委ね、かつ、その各機関の構成員の選任や懲戒についていかなる態様の規範を定立することも原則として団体の自由意思に委ねるという趣旨であり、それ以上にでるものではない。したがって、団体の自治は、団体が団体の自律的意思に基づいて定立した規範を無視して、団体構成員を選任、懲戒しても自由であるとする意味での自由は認めていない。

2  信仰の自由について

憲法二〇条の要請は、国家機関が如何なる宗教教義といえども、その宗教教義の正当性あるいは邪宗性を判断することを禁止するということである。よって、宗教団体の行う懲戒処分が、当該団体の自治的規範に基づいてなされたものであるか、または、懲戒処分権者が当該団体の自治的規範に基づいて選任されたか否かの判断を裁判所がしてはならないということを要請しているのではない。

3  懲戒処分権者としての管長に日顕が就任したか否かについて

懲戒処分権者としての管長に日顕が就任したか否かについては、日蓮正宗の教義、信仰の内容に踏み込まずに判断できる客観的事実である。

(1) 宗教上の地位が具体的権利義務の存否あるいは代表役員などの法律上の地位の前提である場合には、裁判所は右地位の存否について判断でき、また判断しなければならない。法律上の地位の判断の前提たる地位としての「宗教上の地位」とは、当該宗教団体において信仰上求められる一定のカリスマ性の要件を具備した信仰次元での地位ではなく、信仰次元とは別個の規範的選任準則にしたがって選任される地位、いわば法規範事項にのみ関わる地位をいう。

(2) 宗教法人法一二条は、宗教法人は法人規則に代表役員の任免準則を定めなければならない旨規定しているが、多くの宗教法人は、一定の宗教上の地位にある者が当然に代表役員等の一定の法律上の地位に就任する旨の規則を定めている。この場合、法が宗教団体の宗教法人に対しても代表役員等の任免基準を規則で定めることを義務付けている趣旨に鑑みれば、一定の法律上の地位の前提にある宗教上の地位の選任規範が法規範でない教義、信仰的規範であったならば、法律上の地位について何ら規定されていないことになる。

(3) したがって、右宗教上の地位の選任準則は法規範的準則であると解すべきであるから、宗教上の地位の選任準則の内容及び右選任準則に基づく選任行為の有無は、宗教教義、信仰の内容に踏み込まずに判断することができるものである。

七 再々抗弁

1 本件懲戒処分の実体的無効

(一) 本件中止命令の憲法違反

宗教団体の構成員は宗教団体についての発言等に関して一定の制限はあるが、憲法二一条が国民に表現の自由を保障している以上、その制限は右宗教団体が存立するうえで必要最低限度の範囲に止めるべきである。大会は、日蓮正宗の存立を揺るがすような内容の集会ではなく、逆に創価学会の侵害行為から日蓮正宗の存立を守る目的で開催されたものであるから、本件中止命令は日蓮正宗が存立するうえで必要最低限度の範囲に止まるものではなく被告らの表現の自由を侵害するものであり、憲法二一条に反して無効である。よって、宗務院が被告らに対してなした本件中止命令は抗力を有せず、右中止命令違反を理由になされた本件懲戒処分は無効である。

(二) 本件中止命令の宗制宗規違反

本件中止命令は宗規二四八条二号の「宗務院の命令」としての効力を有しない。宗務院で行う宗務は責任役員会の議決に基づいて行われるものである(宗規一七条、一八条)が、本件中止命令は責任役員会の議決に基づかずになされたものである。

よって、宗務院が被告らに対してなした本件中止命令は効力を有せず、右中止命令違反を理由になされた本件懲戒処分は無効である。

宗規一七条 本宗の宗務は、この法人の責任役員が、その会議である役員会で議決する。

同一八条 本宗の宗務は、前条の議決に基づき、総監の指揮監督により、宗務院で行う。

(三) 宗規二四八条二号の正当理由の存在

本件中止命令が宗務院の命令として効力を有するとしても、宗規二四八条二号は宗務院の命令に従わないことに正当の理由がある場合には、命令違反を理由に住職または主管の地位から罷免されることはない旨規定している。大会は被告らが教師資格を有し、かつ寺院、教会の住職主管である僧侶が自己の寺院、教会に所属する壇徒と合同して集会を開き、日蓮正宗と創価学会の関係、創価学会のあり方について改革意見を述べるために開催されたのであるから、これは宗制宗規により被告らに与えられた権利を行使したものであり、本件中止命令は被告の権利を侵害するものであるから、右命令に従わず大会を開催したことには正当の理由がある。よって、本件中止命令に従わなかったことには正当な理由があるから、命令違反を理由になされた本件懲戒処分は無効である。

2 本件懲戒処分の手続的無効

(一) 弁疏の機会の欠如

日蓮正宗において、昭和四九年一〇月の国立戒壇問題での創価学会に対立した住職二名が罷免・擯斥された妙信講事件以来、確立した慣行として僧侶の懲戒処分に対しては被処分者に弁疏の機会が与えられることになっているが、本件では被告に対し全く弁疏の機会は与えられなかった。

(二) 参議会の決議違反

(1) 参議会の組織、権限

参議会は諮問機関として懲戒に関する事項を審議する権限を有する(宗制二九条、三〇条)。管長が僧侶を懲戒する場合には参議会の諮問を経なければならない(同一五条本文但書、同条七号)。参議会は議長一名と服務参議六名で組織し(同二九条)、その定足数は五名以上である(宗規九〇条)。参議会の議事は、参議定数の過半数によって決し、可否同数の時は議長が決する(同九一条)。

(2) 参議会決議

参議会は、昭和五五年九月二四日、被告らに対する本件懲戒処分につき、議長一名、参議五名の出席のもとで審議し、議長を含めた三名が処分に賛成し、三名が反対した。宗規九一条の規定によれば、議長は表決に加わらず可否同数の時に決裁権を有する旨規定しているのであり、表決にあたっては議長は表決から除外すべきであるから、右の場合、賛成二名、反対三名の表決となり、被告らに対する本件懲戒処分は否決された。

(3) 本件懲戒処分は右参議会決議に反してなされたものであるから無効である。

(三) 監正会の裁決違反

(1) 監正会の組織、権限

監正会は、宗務の執行に関する紛議または懲戒処分につき異議申立を調査し、裁決する機関であり(宗制三二条)、常任監正院五名で組織され、そのうち一名を会長とし(宗規二二条)、常任監正員の定数全員の出席がなければ開会することができない(同二九条一項)。監正会には、常任監正員の外に予備監正員二名を置き(同二三条)、常任監正員が事故により出席することができないときは会長が予備監正員のうちから欠員を補充する(同二九条二項)。

管長の裁可を得て執行される懲戒処分(宗制二五一条)については、被処分者は監正会長に不服申立をして裁決を得ることができ(宗規二五五条)、監正会の裁決に対して何人も干渉することができず(同三三条)、異議申立をすることもできない(同三四条)。

(2) 懲戒処分禁止の裁決

① 被告らは、昭和五五年九月一七日、監正会長岩瀬正山(以下「岩瀬会長」または「岩瀬」という。)に対し、大会出席を理由に懲戒処分をしてはならない等の申立(以下「一次申立」という。)をなし、監正会は、同月二五日、調査結果から右申立を正当と認め、全員一致で「日本武道館に於ける全国壇徒大会出席者に対する処分は不当であるから一切これをしてはならない」等の裁決をなした(以下、この裁決を「一次裁決」といい、一次裁決をした監正会を「一次監正会」という。)。

② 一次監正会は、会長、常任監正員三名及び予備監正員一名の合計五名が出席して開催されたが、これは、常任監正員光久諦顕(以下「光久」という。)が岩瀬会長の再三の出席要請にもかかわらず正当な理由なく出席を拒否したので、宗規二九条の「事故により出席できない」ものと認め、予備監正員小谷光道(以下「小谷」という。)を補充したうえで適法に開催されたものである。

③ 一次裁決は、具体的な懲戒処分のなされる以前の申立に対する裁決であるが、監正会は、具体的な懲戒処分のみでなく宗務の執行に関する紛議についても裁決できる(宗制三二条)ところ、日蓮正宗が被告らの大会開催の中止命令を出していること、右命令に反して大会を開催した場合には被告らを懲戒処分に付する旨予告していることから考えると、被告らに対する処分は必須の状況にあるから、すでに宗務の執行に関する紛議は具体的に発生していたというべきである。したがって、懲戒処分が未だなされていなくても、右紛議が存在する以上裁決の対象となりうるのであり、一次裁決は有効である。

④ 一次裁決は有効であるから、管長は一次裁決を尊重して懲戒処分を差し控えるべきであった。本件懲戒処分は一次裁決に違反してなされたものであるから無効処分である。

(3) 本件懲戒処分無効の裁決

① 被告らは、昭和五五年九月二八日、被告をはじめ懲戒処分を受けた者を代理して、岩瀬会長に対し本件懲戒処分の無効の裁決を求める申立(以下「二次申立」という。)をなし、監正会は、同月二九日「被告ら五名に対して宣告された住職(主管を含む)罷免の処分はすべて無効である。」との裁決をした(以下、この裁決を「二次裁決」といい、二次裁決をした監正会を「二次監正会」という。)。

② 二次監正会も光久が正当の理由なく出席を拒否したので、一次監正会と同様に「事故により出席できないとき」に該当すると認め、小谷を補充して開催された。

③ 処分は処分の宣告書を受理したときから効力を生ずるものであるが(宗規二五四条)、被告は右裁決後の昭和五五年九月二九日午後三時以降もしくは翌三〇日に本件懲戒処分宣告書を受理したのであり、二次裁決は処分の効力が生じていない時のものであるから有効なものである。よって、本件懲戒処分は無効である。

3 懲戒権の濫用

宗規二四八条二項の「正当の理由なくして宗務院の命令に従わない」行為に該当する行為とは、同項に該当した場合には罷免処分という重大な結果を生ずることから考えると、住職の地位を剥奪しなければならないほどの重大な命令違反と評価される行為であることを要し、単なる軽微な形式上の命令違反行為は含まないと解すべきである。

大会は、その動機において日蓮正宗の教師たる僧侶として、その本来の職責に対する自覚と良心に発し、目的も創価学会の侵害行為から日蓮正宗を守るためであり、大会の開催が日蓮正宗に重大な損害を与えるとか、信徒に対して悪影響を与えるものでないことは明白な事実であるから、たとえ命令違反行為の事実があったとしても、それは単に形式上の命令違反行為にすぎない。

これに対して、本件懲戒処分は、被告の住職としての地位を剥奪し、そのことは日蓮正宗の僧侶として今日まで生活を続けてきた被告の生活権をも剥奪するものであることを考えると極めて重い処分であり、被告の受ける損害は計り知れないものである。また、本件懲戒処分は、形式的な命令違反に名を借りて、その真意は被告らの正当な活動を圧殺する目的でなされたものである。

以上のように、本件懲戒処分は被告の行った命令違反の軽微さに比較して著しく均衡を欠く苛酷な処分であり、更に形式的な命令違反に名を借りて実質的には被告らの正当な活動を圧殺するものであるから、懲戒権の濫用に該当し無効というべきである。

八 再々抗弁に対する認否

1 再々抗弁1の事実(本件懲戒処分の実体的無効)について

(一) 再々抗弁1(一)(本件中止命令の憲法違反)は争う。

(二) 同(二)の事実(本件中止命令の宗制宗規違反)のうち、本件中止命令が責任役員会の議決に基づかずになされたことは認め、その余は否認する。

(原告の主張)

本件中止命令は宗規一七条、一八条に定める責任役員会の議決に基づかずになされているが、次の事由により、本件中止命令には責任役員会の議決は不要である。すなわち、本件中止命令は日蓮正宗の壇信徒の教化、育成及び僧侶の教義、信仰上のあり方という極めて重要な宗教上の事項に関する命令であるが、右のような命令を発する権限(教導権)は伝統的に法主の専権に属するものであり、この点に関しては宗内から何ら異論が唱えられたことはない。宗規一七条、一八条の制定の経緯及び日蓮正宗における意思決定に関する不文の準則が存在していることに徴すれば、宗規一七条、一八条は法人の事務に関してのみ規範力を有し、宗教上の事項についての命令に関するかぎり規範力を有しないと解すべきである。法主は、教導権の内容及び形式について裁量権を有しており、その実施方法は従来から訓諭、宗務院命令、指南、指導など、各種の形式がとられてきた。本件中止命令は、法主日顕の教導権の発動として宗務院命令の形式で発せられたものであるから、責任役員会の議決は不要である。

仮に、責任役員会の議決が必要であるとしても、本件中止命令を発するについては、責任役員三名(管長、総監、重役)のうち、管長及び総監の合意があり、重役も承認していたのであるから、本件中止命令について実質的な責任役員会の議決があったと認めることができる。したがって、本件中止命令に違法性はない。

(被告の反論)

原告は、本件中止命令についての決定権は伝統的に法主にあると主張するが、宗制宗規は法主と管長を別の機関としてとらえ、法主の権限に関する独立した節を設けておらず、教団運営上の重要事項についての権限は管長に認められていることから、日蓮正宗における最高機関は管長であり、法主に最高権限を与えたと認めることはできず、本件中止命令の決定権が法主にあるということはできない。

仮に、原告主張のように伝統的な不文の準則が存在するとしたならば、何故不文の準則に反するような明文の規定を制定したのかその理由が明確になされていない。

(三) 同(三)の事実(宗規二四八条二号の正当理由の存在)は否認する。

(原告の主張)

裁判所は、団体内部における懲戒処分につき、それが被処分者の市民生活上の重大な利益にかかわるような場合には、処分根拠規定の要件該当事実の存否に対する審判権を有するが、、団体自律権の発規として、懲戒についても団体に広範囲な裁量権が認められており、さらに正当理由といった規範的要件は、特に宗教団体にあっては、教義、信仰上の価値判断と密接に関連する場合が多いのであるから、それが専ら世俗的価値判断になじむ性質のものであり、かつ、世俗的価値基準に照らして明らかに合理性を欠き公序良俗に反すると認められる場合以外は裁判所は自らその価値判断をなすべきではなく、当該宗教団体がすでになした自律的価値判断の結果を尊重すべきである。

したがって、専ら宗教的正邪の問題をもって、正当理由とするにすぎない被告の主張は失当である。

2 再々抗弁2の事実(本件懲戒処分の手続的無効)について

(一)  再々抗弁2(一)の事実(弁疏の機会の欠如)は否認する。宗規二三〇条二項は壇徒及び信徒に対する懲戒処分に際しては被処分者に対し書面による弁疏の機会を与える旨規定しているが、僧侶に対する懲戒処分について弁疏の機会を与える旨の規定は存せず、これに代わるものとして宗規二五一条に総監による事実審査の規定が存するのであるから日蓮正宗において慣行として弁疏の機会を与えることになったことはなく、また現実にも過去に僧侶の懲戒処分に対して弁疏の機会を与えられた例はない。

(二)  同(二)の事実(参議会の決議違反)について

(1) 同(二)(1)の事実(参議会の組織、権限)のうち、管長が僧侶を懲戒する場合に参議会の諮問をへなければならないことは否認し、その余は認める。

(2) 同(2)の事実(参議会決議)は否認する。宗制宗規には議長に議決権がないとの規定はなく、慣例上議長は議決権を行使している。宗制宗規は、参議会の定数は六名(宗制二九条一項)、定足数は五名(宗規九〇条)とし、議決の表決は参議定数の過半数(四名)によって決せられる(同九一条)とされており、このような状況に照らせば、議長が決裁権を発動すべき「可否同数のとき」(同九一条)とは、議長も議決権を行使した三対三の場合しかないことを考えると、議長に議決権があることは明白である。したがって、本件の参議会において、議長が議決権を行使したこと及び決裁権を行使したことはいずれも適法であり、被告らに対する本件懲戒処分は可決されたというべきである。

(3) 同(3)は争う。

(三)  同(三)の事実(監正会の裁決違反)について

(1) 同(三)(1)の事実(監正会の組織、権限)は認める。

(2) 同(2)の事実(懲戒処分禁止の裁決―一次裁決)について

① 同①の事実は認める。

② 同②の事実のうち、監正会に光久が欠席し小谷が出席したことは認め、その余は争う。

③ 同③は争う。

④ 同④は争う。

(原告の主張)

一次裁決については次の無効事由が存在する。

①  岩瀬会長による申立却下決定の存在

岩瀬会長は、昭和五五年九月二四日、被告らの監正会に対する一次申立は日蓮正宗の法規に違反していると判断して右申立てを却下した。よって、その後になされた一次裁決は、申立なくしてなされた裁決となり無効である。

②  監正会の不成立

a 光久常任監正員の除外

監正会は常任監正員の定数全員の出席がなければ開催することができず(宗規二九条一項)、常任監正員に事故があるかもしくは特別利害関係により除斥された場合に、予備監正員の中から補充することになっている(同条二項)。ところが、昭和五五年九月二五日に開催された監正会は、何ら事故も利害関係もなかった常任監正員の光久を排除して予備監正員の小谷を参与させて行われているから宗規に反している。

宗規二九条の「事故」とは継続的な出席不能を指すのであり、一時的な支障は含まれない。一次監正会は午前一〇時から開催されたが、光久に対する招集通知は監正会開催当日午前八時に電話でなされたため、同人は所用があることを理由に出席を拒否したのであり、同人には何ら「事故」はなかった。したがって、小谷は監正会に出席する権限を有しておらず、同人が加わってなされた一次裁決は無効である。

b 利害関係人の参与

監正会の決議には、申立事件と直接関係する監正員は参与することができない(宗規三一条)。被告らの申立事由は「第五回全国壇徒大会出席を理由として処罰してはならない」「正信覚醒運動をしていることをもって不利な一切の差別をしてはならない」というものであったが、一次裁決には正信会の中央委員及び正信会議長として大会開催について中心的役割を行っていた藤川法融(以下「藤川」という。)が参与していたから、右裁決は無効である。

③  監正会の権限踰越

a 懲戒権の侵害

宗規二五五条には「懲戒に処せられた者にしてその処分を不服とするときは、その理由書を添え、監正会長に申し立てることができる」と規定され、同三五条には「監正会の裁決を求めるには、(中略)懲戒処分についてはその宣告を受けた日から一四日以内に、書面をもって会長に申し立てなければならない」と規定されているから、懲戒権は管長、責任役員会が有するのであり、監正会は事後的審査権を有するにすぎない。一次申立は懲戒処分のなされる前になされた申立であり、これに対する裁決内容は懲戒処分の事前禁止をいうものであるから、監正会の権限を逸脱し、管長、責任役員会が有する懲戒権を侵害した裁決といえる。

被告は、一次申立を「宗務の執行に関する紛議」に関するものであると主張するが、懲戒処分については宗規に異議申立手続が明示されているから、その申立は右手続に沿って行わなければならず、宗務の執行に関する紛議としてこれをなすことはできない。

b 内在的制約違反

一次監正会の審理対象は「第五回壇徒大会は池田大作氏等の誹謗行為に反省を求めるものであり、大聖人の根本義に基づく仏法上の正当な行為であって、昭和五五年八月一九日付院達は仏法違背の命令である」ということであるが、右命令は日顕が日達の採った僧俗和合協調路線に則り、創価学会の過去の行動及びこれに対する宗門の対応方法を考慮し、法主の教義・信仰上の指南を伝えるものとして出されたものであるから、右命令が仏法違背の命令であるか否かを判断することは監正会の権限外のものである。

④  手続違反及び審理不尽

宗規三六条は申立書正副二通の作成を要請し、申立書の記載事項として立証事項の記載を必要的記載事項としている。しかし、一次裁決は約四時間程の短時間の間に、調査・審理・裁決及びその上申を終了し、一次申立の申立書には立証事項の記載がなく、右事項の補充をすることなく、また相手方たる管長ないし宗務院に対して申立書の副本の交付をしないまま裁決がなされたものである。更にどのような証拠資料が提出され、どのような証拠によって裁決がなされたかも全く示されていない。

このような裁決は、宗規三六条に違反しており、手続違反及び審理不尽として無効である。

⑤  監正会の先例違反

監正会の先例としては二例あり、いずれも昭和五五年六月七日に施行された宗会議員選挙に関するもので、同年七月二二日に併合審理され慎重な審理の結果、懲戒処分がなされる以前において、懲戒事由に該当するか否かの確認並びに懲戒に付すべき旨もしくは付してはならない旨を懲戒権者に命ずる権限はいずれも監正会にはない旨の判断を下したのであり、一次裁決は右先例に違反し無効である。

⑥  一次裁決が無効であることの宗内的確定

監正会の有効な裁決が存するか否かの判断は、管長が最終的に行う権限を有する(宗規一三条―一宗総理権)。

管長である日顕は、昭和五五年九月三〇日、責任役員会の議決を経て(宗規一五条一二号)、一次裁決が無効であることを確認し、同年一〇月三日、院第二一七号の院達をもって宗内に通達した。よって、一次裁決が無効であることは、日蓮正宗内において確定している。

(被告の反論)

①  岩瀬会長による申立却下決定の存在について

岩瀬会長は被告の昭和五五年九月一七日付提訴状を受理し、光久に意見を聞いたのち却下する旨の理由書の原稿を作成したが、右光久の意見が提訴を却下する場合の規定である宗規三七条の趣旨を歪曲もしくは誤解した意見であることが判明した(宗規三七条は申立書が同三六条所定の要件を具備しない場合に却下する旨規定している。)ので、岩瀬会長は却下決定をしないで右提訴を採り上げ、監正員と合議のうえ、右提訴を宗制三二条の「宗務の執行に関する紛議」と判断して裁決したものであり、一次裁決は有効である。

②  監正会の不存在について

光久は本山に常駐する常任監正員であり、被告からの提訴の事実は知っており、近日中に監正会が開催されることは熟知していたのであるから、日常業務があるとしても日蓮正宗にとって重要な課題を審理する一次監正会に出席できないほどの緊急な要件が存在したとは認めることはできず、また、同人は監正会開催の通知を受けた際、一次申立は前日に却下されていること、常任監正員に懲戒処分を受けて資格のない監正員が含まれてることを理由に出席を拒否しているのであるから、出席の拒否には何ら正当な理由はない。

監正会の招集手続については宗制宗規上書面で通知する旨の規定はないので、電話による通知も適法な招集方法である。また、光久は右の各理由により出席を拒否したのであるから、別期日を定めて監正会を開催しても出席しないことは明白であり、同人の出席拒否のために監正会の開催ができないとすれば監正会の機能は果たせなくなることを考えると、宗規二九条二項はこのような事態をも予想して設けられた規定であると解すべきである。よって、一次監正会が光久を排し小谷を参与させて開催されたとしても何ら違法はない。

③  監正会の権限踰越について

一次裁決は、監正会の権限に属する「宗務の執行に関する紛議」についてなした判断であるから、何ら権限踰越はない。

④  手続違反及び審理不尽について

監正会の開催された昭和五五年九月二五日は、宗務院による被告らに対する懲戒処分の発動が予想される事態にあったため、早急に裁決をすることが要請されていた事情にあった。また、大会の内容は宗門の内外に広く公表され、被告らの行動について判断する資料に欠けるところはなく、したがって監正会において提訴人及び宗務院から事情を聴取する必要はなく、提訴内容を充分に審議できたのである。

⑤  一次裁決が無効であることの宗内的確定について

管長、責任役員会が監正会の裁決につき再度審議決定できる宗制宗規上の根拠は全くなく、かえって監正会の裁決は何人も干渉できず、異議を申し立てることができない旨規定されており(宗規三三条、三四条)、責任役員会の議決や管長としての確認は宗規に違反して無効である。

(3) 同(3)の事実(本件懲戒処分の無効―二次裁決)について

①  同①の事実は認める。

②  同②の事実のうち、監正会に光久が欠席し小谷が出席したことは認め、その余は争う。

③  同③は争う。

(原告の主張)

二次裁決には次のような無効事由が存在する。

①  提訴の不存在

被告は、昭和五五年九月二八日、二次裁決の申立書を岩瀬会長に提出し、同人により受理されているが、その当時岩瀬は懲戒処分により監正会長の資格を喪失していたのであるから右申立書を受理する権限がなかった。したがって、二次裁決は受理権限のない者の受理した提訴に基づいてなされているので宗規三五条に違反して無効である。

②  監正会の不成立

a 招集手続の瑕疵

二次監正会は、招集権限のない岩瀬により招集されたものであるから違法である。

b 無資格者の参与

二次監正会に出席した五名のうち、岩瀬、藤川、鈴木譲信(以下「鈴木」という。)の三名は昭和五五年九月二四日、参議会の諮問及び責任役員会の議決を経て、同日、管長により停権以上の懲戒処分に付され、同月二六日、宣告書の交付により、監正員の地位を喪失した者である(宗規一四二条一項、一三九条)から、同月二九日開催された二次監正会は無資格者が参与しており正規の監正会と認めることができない。

c 光久常任監正員の除外

岩瀬らは、昭和五五年九月二九日に光久が日顕に同行して秋田県の大徳寺に行くことを事前に熟知しながら、同日監正会を開催する旨を光久に対して通知し、同人の異議を無視して監正会を強行したのであり、右二次監正会は正規の監正会と認めることはできない。

d 利害関係人の参与

藤川は正信会議長、同会中央委員、大会主催者であり、二次監正会の申立事件に直接関与する者として参与できない立場にあるから、同人の参与のもとになされた二次監正会の成立を認めることはできない。

③  理由不備

二次裁決は一次裁決の存在のみを理由として結論を導きだされているが、一次裁決は前述のとおり無効であるから、これを前提にした二次裁決は理由がなく無効である。

④  手続違反及び審理不尽

監正会長の地位を喪失した岩瀬に対してなされた二次申立は適法な申立にならない。

二次裁決は、昭和五五年九月二八日の二次申立に対して翌二九日になされたものであり、証拠の収集、当事者の事情聴取は何ら行われておらず、一次裁決と同様、手続違反及び審理不尽として無効なものである。

⑤  正規の監正会でないことの宗内的確定

日顕は、責任役員会の議決を経たのち、岩瀬、藤川、鈴木の三名が関与した二次監正会が正規の監正会でないことを確認し、昭和五五年一〇月三日院第二一七号の院達をもって宗内に通達したので、二次監正会が正規の監正会でないことは宗内的に確定している。

(被告の反論)

①  提訴の不存在について

岩瀬に対する懲戒処分は違法であり、また懲戒処分の宣告書は二次申立をした昭和五五年九月二八日当時同人に送達されていなかったのであるから、岩瀬は監正会長の地位を喪失しておらず、二次申立の受理権限を有していた。

②  監正会の不成立について

岩瀬、藤川は宣告書を受理しておらず、鈴木も同人の妻が受理したのであり、鈴木が受理したと認めることはできないから、三名に対する懲戒処分の効力は生じておらず、二次監正会は有効に成立している。

③  光久常任監正員の除外について

光久は一次監正会を正当な理由なく欠席し、二次監正会開催の通知に対しても出席できるにもかかわらず、右監正会は資格を喪失した監正員によるものであるとして出席を拒否したのであるから、「事故」があったものと解すべきであり、小谷を補充して開催した二次監正会は適法である。

3 再々抗弁3の事実(懲戒権の濫用)については争う。

九 法律判断についての原告の主張

本件訴訟の訴訟物は原告から被告に対する建物明渡請求権であり、私法上の権利義務の存否をめぐる紛争に他ならず、その争点も本件懲戒処分が日蓮正宗の内部規範である宗規宗制に則ってなされたか否かという裁判所の審判可能なものに限られているのであって、本件は紛れもなく法律上の争訟である。

最高裁判所平成元年九月八日第二小法廷判決は、異説を唱えたことを理由とする懲戒処分の効力が争点をなす訴訟は法律上の争訟には該当しない旨判示したが、本件訴訟は処分事由が全く異なっており、右判決は先例とならない。そして、本件訴訟において前記最高裁判決のように、裁判所の審判権が及ばないとすると、以下のような不都合が生ずることとなる。第一に宗教団体内部で異端を理由とする懲戒処分がなされた場合にたとえば宗教団体の財産の取り戻し等の私法上の請求権の行使が認められないならば、懲戒処分における重要部分で実効性が伴わないこととなる。第二に異端を理由とする懲戒処分とそれ以外の理由による懲戒処分との間で均衡を失することとなる。第三に宗教団体所有の財産関係について無法状態が容認されることとなり、自力救済を誘発する危険性が生ずる。第四に裁判所の審判による権利関係の確定がなされない結果、法律関係が不安定のまま永続することとなる。

(第二事件)

一  請求原因

1 第一事件の抗弁1及び3(一)の事実と同じである。

2 被告は、昭和三九年四月五日、原告の住職、代表役員及び責任役員に就任した。

3 原告は、被告が原告の代表役員及び責任役員の地位にあることを争っている。

よって、被告は原告との間で、被告が原告の代表役員及び責任役員の地位にあることの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実はすべて認める。

三  抗弁

1 第一事件の再抗弁1ないし4及び6の事実(本件懲戒処分)と同じである。

2 被告は本件懲戒処分により、原告の住職の地位を喪失するとともに、原告の代表役員たる地位及び責任役員たる地位を喪失した。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁事実1については第一事件の再抗弁に対する認否及び主張と同じである。

2 同2は争う。

五  再抗弁

第一事件の再々抗弁と同じである。

六  再抗弁に対する認否

第一事件の再々抗弁に対する認否及び主張と同じである。

第三証拠《省略》

理由

一  本件訴訟は宗教団体内部の紛争である本件の事案の性質に鑑み、本案の審理に先立ってまず裁判所の審判権の有無について審案する。

1  裁判所がその固有の権限に基づいて審判することができる対象は、裁判所法三条にいう「法律上の争訟」、すなわち、当事者間の具体的権利義務ないし法律関係の存否についての紛争であり、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することのできるものに限られるというべきである。

本件第一事件は、被告が日蓮正宗の管長である日顕により本件懲戒処分を受けたことにより日蓮正宗の僧籍を喪失すると同時に、原告の住職、代表役員及び責任役員の地位を喪失し、これにより本件建物の占有権限を喪失したものとして原告が本件建物の所有権に基づき被告に対してその明渡しを求める請求であり、本件第二事件は、被告が本件懲戒処分の無効を主張して原告の代表役員及び責任役員の地位にあることの確認を求める請求であり、いずれも具体的権利義務ないし法律関係に関する紛争である。

そこで、本件紛争が法令の適用によって終局的に解決することができる事案であるか否かを検討するに、本件第二事件において被告が原告の代表役員及び責任役員の地位にあるか否かについては、本件懲戒処分の効力にかかる問題であり、また、第一事件において、被告が本件建物の占有権限として主張するのは、被告が原告の代表役員としての地位に基づき本件建物の占有するというものであって、右権限の主張は被告が原告の代表役員の地位にあるか否かに関わる問題であるから、本件第一事件についても本件懲戒処分の効力が問題となっているものである。

ところで、本件懲戒処分は、宗教団体としての日蓮正宗がその内部規律に則り、構成員である被告に対して規律違反を理由として原告が行った懲戒処分であるが、右処分の効力が争われ、その判断をするにあたっては、当該団体の自立性を尊重し、原則として、右処分に著しい手続違背が存する場合、内部規律が社会観念に著しく反する等公序良俗に反すると認められる場合以外は右懲戒処分を有効なものとして取り扱うべきであり、裁判所は右のような限度において審判権を有すると解すべきである。しかし、一方宗教法人が宗教活動を目的とする団体であり、その宗教活動は憲法上国家からの自由が保障されている以上、団体の自治によって決定される宗教的教義、信仰の内容に関する事項に関しては、裁判所は一切審判権を有しないといわなければならず、たとえ、宗教団体内部における懲戒処分の効力が請求の当否を決定する前提問題として争われている場合であっても、それに対する判断が宗教上の教義、信仰の内容に関する事項に深く関わり紛争の実体が宗教上の教義等についての争いである場合には、紛争全体として法律の適用によって終局的解決ができないから、このような場合には法律上の争訟とはいえず、訴えは不適法として却下されるべきものと解するのが相当である。このような場合に、宗教団体の自律的決定尊重の観点から、処分の効力を是認することは結果として裁判所が宗教上の対立抗争に介入し、一方の立場に立つこととなり相当でない。

以上の見解に反する原告の所論は採用できない。

2  また、原告は、被告が本件懲戒処分により原告寺院の住職たる地位及び原告の代表役員の地位を喪失したものであるところ、その処分の効力を争う被告において、処分の無効事由を主張立証すべきであるが、被告の主張する無効事由は法律上裁判所の審判権の及ばないもので主張自体失当であるから、主張立証責任の上から本件懲戒処分を有効なものとして本案判決をすべきである旨主張するのでこの点について検討する。

本来、主張立証責任は主張、立証の機会があるにもかかわらず、十分な主張立証がなされなかった場合の問題であり、そこでは当然に主張、立証の機会が手続上保証され、かつ、裁判所による心証形成の機会があること、したがって、裁判所の審判権がその主張、立証事項に及んでいることを前提するものでなければならない。

したがって、裁判所が当該争点について制度上審理、判断ができない事項については主張、立証責任によって処理をすることは相当でない。

3  以上の観点にたって、被告が懲戒処分に処せられた経緯、右処分をめぐる紛争の実体を検討してみる。

第一事件の再抗弁1の事実(第二事件の抗弁1の事実1処分規定)及び同4の事実のうち、昭和五五年九月二四日参議会の諮問を経て、責任役員会の議決により、被告を主管罷免の処分に付し、管長の裁可を得、管長の名をもって宣告書を作成したうえで、翌二五日被告に対し右宣告書が交付されたことについては、当事者間に争いがない。当事者間に争いのない事実、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  創価学会は日蓮正宗の信徒団体であり、多数の会員を擁し、急速に発展してきた団体であるが、昭和五二年ころから、日蓮正宗と創価学会の間で教義を巡って対立が生ずるようになり、その頃から、創価学会の右のような状況に対して批判的な日蓮正宗僧侶は、創価学会が幾多の教義違背、謗法を行っているとして批判し、日蓮正宗の教義に従った正しい信仰を確立することを標榜するいわゆる正信覚醒運動を行うようになり、被告も右運動に参加するようになった。

右僧侶は、正信覚醒運動の一環として、創価学会を脱会した日蓮正宗の信徒を集め、昭和五三年八月、昭和五四年一月、同年八月、昭和五五年一月の四回にわたり、全国壇徒大会を開催した。

(二)  ところで、日達は、昭和五四年五月三日、創価学会第四〇回本部総会において、創価学会と日蓮正宗の対立は一応収束し、今後僧俗和合して広宣流布に進むべき旨指南し、日顕も、昭和五五年一月開催の第四回全国壇徒大会において、右日達の指南を支持し、僧俗和合協調路線に従わない者は日蓮正宗の信心の在り方から完全に逸脱する旨の指南をし、同年七月四日開催の全国教師指導会においても右路線を進めるべきことを指南した(七・四指南)。

(三)  被告らは、日蓮正宗と創価学会との僧俗和合協調路線が誤りであり、創価学会が日蓮正宗の信者としてふさわしい体質に改善されるまで、正信覚醒運動を継続する必要があると考え、この見地から大会開催を決意した。

(四)  被告を含む日蓮正宗僧侶一八名は、大会を昭和五五年八月二四日に日本武道館において開催する旨決定したが、これに対して総監は、大会が七・四指南に反する内容である場合には大会を中止するように被告らに対して説得をした後、同年七月三一日付、同年八月一一日付、同年八月一九日付の各院達において、大会の内容が七・四指南に違反する内容であると判断し、被告らに対して大会の中止を命じた。

(五)  しかしながら被告らは、右宗務院命令に従うことなく、昭和五五年八月二四日、日本武道館において一万三〇〇〇人の壇徒の参加を得て大会を開催した。

(六)  右行為を宗規二四八条に該当すると判断した宗務院は、総監において事実の審査を遂げたうえで(宗規二五一条)、昭和五五年九月二四日参議会の諮問を経て(宗制三〇条二号)、責任役員会の議決により(宗規一五条七号)、被告を主管罷免の処分に付し、管長の裁可を得(同二五一条)、管長の名をもって宣告書を作成したうえで(同二五三条)、翌二五日被告に対し右宣告書を交付した。

以上の事実関係によれば、本件懲戒処分は外形上は有効に存在しており、一応手続上宗制宗規に則り行われていると認めることができる。そこで、本件懲戒処分の効力を審理、判断するについては、①日顕が懲戒処分権者である管長であるか否か、②大会開催が懲戒事由となるか否か、の二点についての判断を避けることができないものである。

4  そこで、右争点について裁判所の審判権が及ぶか否かを検討する。

(一)  日顕が管長であるか否かについて

日蓮正宗において、懲戒処分権者が管長であり、管長は法主をもって充てられることは当事者間に争いがないので、日顕が法主に就任したか否かについて判断することができるか否かが問題となる。

日蓮正宗における法主就任準則については宗規一四条二項が「法主は必要と認めた時は、能化のうちから次期法主を選定することができる。但し、緊急やむを得ない場合は、被選定資格は下がり、大僧都のうちから選定することができる。」と規定し、同条三項が「法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役及び能化が協議して能化もしくは大僧都のうちから次期法主を選定する。」と規定していることは当事者間に争いがない。

右各条項のうち、「選定」の解釈について当事者間で争いがあり、原告は宗祖日蓮の血脈を承継させるという意味での「血脈相承」と呼ばれる宗教上の行為であると主張するのに対して、被告は現法主が次期法主を選任するという意味での意思表示を中核とする選任行為であると主張するので、この点について判断する。

《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

(1) 日蓮正宗における法主の地位は、宗祖日蓮の血脈を歴代の法主を通じて承継した者として、伝統的に宗祖の仏法の一切を承継し、日蓮正宗の教義を解釈し、教義上の争いが生じた場合にはその成否について最終的な裁定を下し、更に本尊を書写し授与する権能を有する唯一の者として特別の尊崇を受ける日蓮正宗を統率する宗教上の最高権威者とされてきた。

(2) 日蓮正宗の法主に就任するには、伝統的に現法主、場合によっては前法主から次期法主となるべき者に対し「血脈相承」という行為がなされ、現法主の遷化または退職により、血脈相承を受けた者が新法主に就任するものとされてきた。ここでいう血脈相承とは、それを授ける者がそれを受けるにふさわしい者に対して他人を交えることなく(唯授一人)、口頭で伝えられ(口伝)、その方法及び内容は一切秘密とされる(秘伝)宗教行為であり、日蓮正宗における最高の宗教的行為であり、血脈相承の断絶はあり得ず、血脈相承の不断は日蓮正宗における教義・信仰上の絶対的要請とされている。

(3) 日蓮正宗の現行宗規の中にも、宗祖の血脈が歴代の法主によって承継され現在に至っているとの文言が存在する。宗規二条は「本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。」と規定し、同一四条一項は「法主は、宗祖以来の唯授一人の血脈を相承し、本尊を書写し、日号、上人号、院号、阿闇梨号を授与する。」と規定している。

(4) ところで、日蓮正宗は、明治時代に日蓮宗富士派と呼称されていたが、明治三三年に独立の宗派として認可されたことにより生まれた宗派である。当時、明治政府の宗教政策の一環として宗制寺法が制定され、管長が法主を称すること、管長選任についての選挙制の導入、管長就任についての政府の認可制が義務づけられた。宗制寺法の内容は血脈相承を授けられた法主をもって宗内の最高権威者とする日蓮正宗の伝統とは相容れないものであったが、独立の宗派として認可を受けるためには宗制寺法に従わざるを得ず日蓮宗富士派宗制寺法を制定した。そこで、日蓮正宗においては、当時も、管長の就任と法主の地位の承継とを区別し、たとえ管長の就任について認可が得られたとしても、当然には法主の地位が承継されるわけではなく、法主の地位はあくまで血脈相承により承継されるものとされ、認可を受けたのちに法主が血脈相承を授け次期法主に就任するという方法が採られていた。

(5) その後、法令の改廃、制定により管長制の廃止がなされたのちも、日蓮正宗においては宗規上管長職及びその候補者の選挙に関する規定が残ったが、右規定に基づいて選挙が実施されたことはなく、血脈相承を授けられ法主となった者が管長の地位に就任してきた。

右各事実によれば、日蓮正宗においては伝統的に血脈相承という宗教上の行為が法主の選任手続とされていること、血脈相承を授けられた者が当代法主の遷化または退職により次期法主に就任していること、明治時代に制定された宗制寺法上法主を管長の呼称にすぎないとされていた時点においても同様の取扱いをしてきたこと、宗祖日蓮の血脈が断絶することなく当代法主から次期法主に受け継がれていくことが日蓮正宗の教義・信仰上の絶対的要請であることが明らかであり、これらの事実を総合すると、日蓮正宗における法主の選任手続は宗教上の行為である血脈相承によってなされるというべきである。以上のことから、法主の選任準則である宗規一四条二項、三項についても、宗教上の行為としての血脈相承の意義との関連を無視して解釈することはできず、同項にいう「選定」の意味は、原告主張のとおり、当代法主が次期法主に宗教上の行為としての血脈相承を授けることを指すと解すべきである。

被告は、管長という代表役員の地位の前提である法主の地位の選任準則が信仰的規範である血脈相承であるとすると、裁判所は法主及び管長の地位の存否についての判断をなすことができなくなり、代表役員の任免準則を規定した宗教法人法一二条の趣旨に反する旨主張するが、法主選任準則の内容は日蓮正宗が自由に規定することができるものであり、選任準則として宗教的要素を含めることが許容されないとの理由はなく、むしろ、選任準則に宗教的要素を含めることが許容されないと解することは、宗教団体の自治を侵害する結果となる。宗教法人法一二条は、代表役員に関する任免準則を規定することを定めたものに過ぎず、選任準則として宗教的要素を含んではならない旨を規定したものではない。

以上のことから、法主したがって管長の地位に在るか否かについては、宗教的行為としての血脈相承があったか否かについて判断しなければならないが、血脈相承は日蓮正宗の教義・信仰の内容と深く関わる事項であるから、血脈相承の存否については裁判所は審判権を有せず、その存否を判断することはできない。

してみると、血脈相承の存否について審判権を有しない以上、日顕が法主すなわち管長に就任したか否かについても審判権を有せず、この点について判断することはできないといわざるを得ない。

(二)  被告の大会開催が懲戒処分事由に該当するかについて

前記二3で認定した事実によれば、日蓮正宗は昭和五二年ころからその信徒団体である創価学会と教義を巡って対立状態にあったところ、日達は、昭和五四年五月、日蓮正宗と創価学会との対立は一応収束したとして僧俗和合協調路線を日蓮正宗の活動方針と定め、これを日顕が承継したのに対し、被告を含む創価学会に批判的な僧侶らが僧俗和合協調路線は誤りであり、創価学会が日蓮正宗の信者としてふさわしい体質に改善されるまで正信覚醒運動を継続すべきであるという考えのもとに本件中止命令に従わず、大会を開催したのであるから、僧俗和合協調路線を批判して正信覚醒運動を進めようとして大会を開催したことが宗規二四八条二号の宗務院の命令に従わない正当な理由になるかどうかを判断することは、まさに日蓮正宗の教義・信仰の内容について判断しなければならないことになる。したがって、この場合には、裁判所は右事項につき審判権を有しないというべきである。

5  以上のとおり、本件各請求を判断するにあたっては、前提問題として本件懲戒処分の効力についての判断が必要不可欠のものというべきところ、その効力について判断する場合には宗教上の教義・信仰の内容に立ち入らざるを得ないと認められるから、本件懲役処分について裁判所は判断することはできないことになり、結局、本件請求は裁判所が法令を適用して終局的解決をすることはできず、裁判所法三条にいう法律上の争訟に該当しないといわざるを得ない。

6  原告は本件訴訟において請求を却下すると①宗教団体内部で異端を理由とする懲戒処分がなされても重要部分で実効性がなくなる。②異端を理由とする懲戒処分とそれ以外の懲戒処分との間で均衡を失する。③財産関係について無法状態が容認されることにより自立救済を誘発する危険性がある。④権利関係が確定されない結果法律関係が不安定のまま永続する等の不都合が生ずる旨主張する。確かに本件訴訟を却下することにより原告の主張する不都合が生じるけれども、本件訴訟における紛争の実質が教義上の争いを核心としている場合であるから裁判所の審判権は及ばないと解さざるを得ない。

二  以上によれば、本件各請求は、いずれも不適法であるから、却下することとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法八九条、 九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長谷喜仁 裁判官 横山巌 裁判官將積良子は転任のため署名押印できない。裁判長裁判官 長谷喜仁)

〈以下省略〉

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